詩集の後に
薄田泣菫

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【テキスト中に現れる記号について】

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つた

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ぶら/\して
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 私が第一詩集暮笛集を出版したのは、明治三十二年でしたが、初めて自分の作品を世間に公表しましたのは、確か明治二十九年か三十年の春で、丁酉文社から出してゐた『新著月刊』といふ文藝雜誌に投稿したのだつたと思ひます。丁酉文社といふのは、島村抱月、後藤宙外その他二三氏の結社で、事務所は東京牛込神樂坂を少し揚塲町の方に※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つた後藤宙外氏の家においてあつたやうに記憶して居ります。私の作が雜誌に出ると、丁酉文社から使の人が謝禮にまゐりました。その頃私は麹町區中六番町のある漢學先生の家に部屋借をして居りましたが、その使の人が來て私に會ひたいといふので、玄關に出て行きますと、叮重な挨拶で、是非先生にお目にかゝりたいといふの
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