です。私はこれまでつひぞ先生と云はれたことが無かつたので、
『先生ですか?、先生は只今お留守のやうです。』
 とはにかみながら返事をいたしました。すると使の人は殘念さうに、それでは、これをお歸りになりましたらお禮にといつて差上げて呉れといつて大きなビスケツトの箱を置いて歸りました。すると恰度そこへ來合せたのが、私の親友で、後に辯護士になつて大阪の市政界に活躍した中井隼太氏でした。私が詩の謝禮にビスケツトをもらつたといふことを話しますと、氏は非常に憤慨して、あんな長い詩の謝禮にビスケツトとは怪しからぬ、是非突つ返せといふのです。私は折角使の方が持つて來たものを返すといふのは變だなといふと、中井氏は何も變なことはない、詩の謝禮にビスケツトを持つて來るといふのが變なのだ。すべて藝術家は初のお目見得が大事なのに、それにビスケツトをもらつたといふのは恥ぢやないか、是非突つ返せといふので、なるほどそんなものかなあ、それでは返へさうといふことになつて氣がつくと、中井氏はもうそのビスケツトの鑵をあけて、なかのお菓子を喰べかけてゐるのでした。
 この雜誌に出ました私の詩は、杜甫の『花密藏難見』といふ句を
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