は已み難い憧憬があります。
『魂の常井』はその當時、早稻田文學を主宰してゐた島村抱月氏から、東儀鉄笛氏に作曲して貰ふからといふ頼みがあつたので書いた作ですが、作曲物にこんなのを書いたのは私の量見違ひでした。思へば東儀氏もよくかうした詩に作曲したものですね。
『零餘子』は、子供の時から私の好きな草の實で、故郷の私の家の垣根には、これがたんと植わつてゐて、秋になると、風もないのに、よく實がほろ/\とこぼれかゝりました。そんなことがこの詩を孕んだのです。
『鶲の歌』は、その獨りぼつちの淋しさにおいて、私の最も好きな鳥を歌つたものですが、あの淋しい鳥の姿と魂とを歌ふには、詩が少し饒舌に過ぎた嫌ひがあるやうです。
『望郷の歌』は、誰も知つてゐる通り、ゲエテのウヰルヘルム・マイステルにあるミニヨンの歌を想ひ浮べながら、京都の四季のうつり變りを歌つてみました。上田敏氏はこの詩の『第三節、第四節の沈靜なるは、新しき日本に生ひ出でし古き花なれ。』と云はれましたが、自分にも第三節第四節が、極く自然に出來たやうに記憶してゐます。
『二十五絃』から『白羊宮』にかけて、私の古語癖が、その頃の讀者や評家をかなり苦
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