でしたが、この集には小引だけしか輯めてありません。確かその春の卷だけは、未成稿のまゝ筐底に殘つてゐたやうに思つて、今度そこらを探しましたが、どうしても見付かりませんでした。
『石彫獅子の賦』は、大阪横堀に近い、何とかいふ町の石彫工塲で落想を得た作品でした。滿谷氏の※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]畫が、立派な出來だつたので、お蔭で詩がどれだけ引立つたか知れません。氏はこの※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]畫を描くために、五六日東京市中の石切塲をたづね※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つた末、やつと註文通りのものを見付けて、出來上つたのがこの作品だつたといふことです。
この時代には、詩の朗吟といふことが、詩人の仲間に流行しまして、私も京都で一度、大阪で二度ほど公開の席で、朗吟を試みたことがありました。その時歌つた詩は、たしかこの集の『夕暮海邊に立ちて』、『夕の歌』、『破甕の賦』などであつたやうに記憶して居ります。自分の朗吟が滅茶苦茶だつたのに較べて、同じ席で試みられた與謝野寛氏の短歌朗吟が、聲といひ、節
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