だけでは優れた畫家にはなれない、畫家には思想が要る、それを養ふには是非本を讀めと云はれるので、兎も角もこちらへうかゞつてみることにしました。』
 といふやうなことを話されました。私達はその日から仲の好い友達となりました。で、それから五、六年後の詩集『ゆく春』に同氏の※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]畫をおたのみすることになつたのです。
 卷頭の『牧笛』は、ずつと以前テオクリトスやヰルギルの牧歌を愛讀したことがありまして、あゝいつたやうな草の香と、野の悲みとを歌つてみたいと思つて試みた作品です。
『夕暮海邊に立ちて』、『夕の歌』、『暗夜樹蔭にたちて』、『郭公の賦』の四篇は同じやうな詩形ですが、この詩形は自分としては幾分の特徴を認めて居ります。
 ソネツトの形式を辿つた八六調十四行詩がこの集には幾篇かありますがそのうちで『あゝ杜國』九首は、當時の時事に憤つた詩でありますが、若い時によくある、物に激して拳骨をふり※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]す、まあ、あゝいつた格ですね。
『南畆の人』は、農夫の生活の平和と苦鬪と悲哀とを歌はうとした長篇の試み
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