したが今日ほど寝覚《ねざめ》の悪い事はまたとあるまい」と高き影が低い方を向く。「タペストリの裏《うら》で二人の話しを立ち聞きした時は、いっその事|止《や》めて帰ろうかと思うた」と低いのが正直に云う。「絞《し》める時、花のような唇《くちびる》がぴりぴりと顫《ふる》うた」「透《す》き通るような額《ひたい》に紫色の筋が出た」「あの唸《うな》った声がまだ耳に付いている」。黒い影が再び黒い夜の中に吸い込まれる時櫓の上で時計の音ががあんと鳴る。
 空想は時計の音と共に破れる。石像のごとく立っていた番兵は銃を肩にしてコトリコトリと敷石の上を歩いている。あるきながら一件《いっけん》と手を組んで散歩する時を夢みている。
 血塔の下を抜けて向《むこう》へ出ると奇麗な広場がある。その真中《まんなか》が少し高い。その高い所に白塔がある。白塔は塔中のもっとも古きもので昔《むか》しの天主である。竪《たて》二十間、横十八間、高さ十五間、壁の厚さ一丈五尺、四方に角楼《すみやぐら》が聳《そび》えて所々にはノーマン時代の銃眼《じゅうがん》さえ見える。千三百九十九年国民が三十三カ条の非を挙げてリチャード二世に譲位《じょうい
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