倫敦塔
夏目漱石

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)倫敦塔《ロンドンとう》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)ただ一度|倫敦塔《ロンドンとう》を

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)かいつぶり[#「かいつぶり」に傍点]が
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 二年の留学中ただ一度|倫敦塔《ロンドンとう》を見物した事がある。その後《ご》再び行こうと思った日もあるがやめにした。人から誘われた事もあるが断《ことわ》った。一度で得た記憶を二|返目《へんめ》に打壊《ぶちこ》わすのは惜しい、三《み》たび目に拭《ぬぐ》い去るのはもっとも残念だ。「塔」の見物は一度に限ると思う。
 行ったのは着後|間《ま》もないうちの事である。その頃は方角もよく分らんし、地理などは固《もと》より知らん。まるで御殿場《ごてんば》の兎《うさぎ》が急に日本橋の真中《まんなか》へ抛《ほう》り出されたような心持ちであった。表へ出れば人の波にさらわれるかと思い、家《うち》に帰れば汽車が自分の部屋に衝突しはせぬかと疑い、朝夕《あさゆう》安き心はなかった。この響き、この群集の中に二年住んで
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