いたら吾《わ》が神経の繊維《せんい》もついには鍋《なべ》の中の麩海苔《ふのり》のごとくべとべとになるだろうとマクス・ノルダウの退化論を今さらのごとく大真理と思う折さえあった。
 しかも余《よ》は他の日本人のごとく紹介状を持って世話になりに行く宛《あて》もなく、また在留の旧知とては無論ない身の上であるから、恐々《こわごわ》ながら一枚の地図を案内として毎日見物のためもしくは用達《ようたし》のため出あるかねばならなかった。無論《むろん》汽車へは乗らない、馬車へも乗れない、滅多《めった》な交通機関を利用しようとすると、どこへ連れて行かれるか分らない。この広い倫敦《ロンドン》を蜘蛛手《くもで》十字に往来する汽車も馬車も電気鉄道も鋼条鉄道も余には何らの便宜をも与える事が出来なかった。余はやむを得ないから四ツ角へ出るたびに地図を披《ひら》いて通行人に押し返されながら足の向く方角を定める。地図で知れぬ時は人に聞く、人に聞いて知れぬ時は巡査を探す、巡査でゆかぬ時はまたほかの人に尋ねる、何人でも合点《がてん》の行く人に出逢うまでは捕えては聞き呼び掛けては聞く。かくしてようやくわが指定の地に至るのである。

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