金を出して馬車などを驕《おご》らねばならないし、それはそれは気骨が折れる、金がいる、時間が費《つい》える、真平だが仕方がない、たまにはこんな酔興な貴女があるんだから行かなければ義理がわるい、困ったなと思っていると、田中君が旅行談を始めた。吾輩に「シェクスピヤ」の石膏製《せっこうせい》の像と「アルバム」をやろうと云うからありがとうといって貰った。それから「シェクスピヤ」の墓碑の石摺《いしずり》の写真を見せて、こりゃ何だい君、英語の漢語だね、僕には読めないといった。やがて先生は会社へ出て行った。これから吾輩は例の通り「スタンダード」新聞を読むのだ。西洋の新聞は実にでがある。始からしまいまで残らず読めば五六時間はかかるだろう。吾輩はまず第一に支那事件のところを読むのだ。今日のには魯国新聞の日本に対する評論がある。もし戦争をせねばならん時には日本へ攻め寄せるは得策でないから朝鮮で雌雄《しゆう》を決するがよかろうという主意である。朝鮮こそ善い迷惑だと思った。その次に「トルストイ」の事が出ている。「トルストイ」は先日|魯西亜《ロシア》の国教を蔑視《べっし》すると云うので破門されたのである。天下の「トルストイ」を破門したのだから大騒ぎだ。或る絵画展覧会に「トルストイ」の肖像が出ているとその前に花が山をなす、それから皆が相談して「トルストイ」に何か進物をしようなんかんて「トルストイ」連は焼気《やっき》になって政府に面当《つらあて》をしているという通信だ。面白い。そうこうする内に十時二十分だ。今日は例のごとく先生の家へ行かねばならない。まず便所へ行って三階の部屋へかけ上って仕度《したく》をして下りて見るとまだ十一時には二十分ばかり間がある。また新聞を見る。昨日は「イースター・モンデー」なのでところどころで興行物があった。その雑報がある。「アクエリアム」で熊使いが熊を使うと云う事が載っている。熊が馬へ乗って埒《らち》の周囲をかけ廻る、棒を飛び超える、輪抜けをすると書いてある。面白そうだ。此度は広告を見た。「ライシアム」で「アーヴィング」が「シェクスピヤ」の「コリオラナス」をやると出ている。せんだって「ハー・マジェスチー」座で「トリー」の「トェルフスナイト」を見た。脚本で見るより遥《はる》かに面白い。「アーヴィング」のも見たいものだ。十一時五分前になった。書物を抱えて家を出た。
 僕の下
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