が面倒だから壁へむいて二三|返《べん》手をふってそれから「カルルス」塩の調合にとりかかった。飲んだ。それからちょっと顔をしめして「シェヴィング・ブラッシ」を攫《つか》んで顔中むやみに塗廻す。剃《そり》は安全|髪剃《かみそり》だから仕《し》まつがいい。大工がかんなをかけるようにスースーと髭《ひげ》をそる。いい心持だ。それから頭へ櫛《くし》を入れて、顔を拭て、白シャツを着て、襟《えり》をかけて、襟飾をつけて「シャッター」を捲《ま》き上ると、下女がボコンと部屋の前へ靴をたたきつけて行った。しばらくすると第二のゴンゴンが鳴る。ちょっと御誂《おあつらえ》通りにできてる。それから階子段《はしごだん》を二つ下りて食堂へ這入る。例のごとく「オートミール」を第一に食う。これは蘇格土蘭《スコットランド》人の常食だ。もっともあっちでは塩を入れて食う、我々は砂糖を入れて食う。麦の御粥《おかゆ》みたようなもので我輩は大好だ。「ジョンソン」の字引には「オートミール」……蘇国にては人が食い英国にては馬が食うものなりとある。しかし今の英国人としては朝食にこれを用いるのが別段例外でもないようだ。英人が馬に近くなったんだろう。それから「ベーコン」が一片に玉子一つまたはベーコン二片と相場がきまっている。そのほかに焼パン二片茶一杯、それでおしまいだ。吾輩が二片の「ベーコン」を五分の四まで食い了《おわ》ったところへ田中君が二階から下りて来た。先生は昨夜遅く旅から帰って来たのである。もっとも先生は毎朝遅刻する人でけっして定刻に二階から天下った事はない。「いや御早う」。妻君の妹が Good morning と答えた。吾輩も英語で Good morning といった。田中君はムシャムシャやっている。吾輩は Excuse me といって食卓の上にある手紙を開いた。「エッジヒル」夫人からこの十七日午後三時にゆるゆる御話しを伺いたいからおいでくだされまじきやという招待状だ。おやおやと思った。吾輩は日本におっても交際は嫌《きら》いだ。まして西洋へ来て無弁舌なる英語でもって窮窟《きゅうくつ》な交際をやるのはもっとも厭《きら》いだ。加之|倫敦《ロンドン》は広いから交際などを始めるとむやみに時間をつぶす、おまけにきたない「シャツ」などは着て行かれず、「ズボン」の膝《ひざ》が前へせり出していてはまずいし雨のふる時などはなさけない
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