部屋へ引き下った。我輩のトランクと書籍は今朝三時頃主人が新宅へ運んでしまったので、残るのは身体ばかりだ。何となく寂漠《せきばく》の感がある。夜の八時頃にコツコツ戸を叩いて這入《はい》って来た――例のペンが――今日差配人が四度来たという注進だ。それから何かいうが少しも解しかねる。あまり面倒だから善い加減にして追さげる。……十時頃にまたペンが来た。今度差配が来たらどうしようという。今度は相談のためだ。心配するには及ばんといって慰めて引きさがらせる。十時半になるがまだ内のものは帰らない。もしここの亭主が詐欺師《さぎし》であって我輩を置き去りにして荷物だけ取って行ったとすれば我輩はアンポンタンの骨頂でさぞかし人に笑われるだろうと気がついた。やがて門の戸のあく音がする。帰ったらしい。まずアンポンタンにならずにすんだ。ありがたいと寝る。
 翌日が四月二十五日、九時頃起きて下へ行くと主人夫婦が今朝飯をすましたところだ。我輩が食卓につくのを相図に昨夜の騒動を御存じですかと神さんが尋ねた。我輩は三階に寝るのである。下でどんな事があったか少しも知らない。騒動って何があったのですと聞くと、例の差配人との悶着《もんちゃく》一件である。昨夜彼らが新宅から帰って家へ這入《はい》る途端《とたん》門口に待ち設けていた差配人は、亭主が戸をしめる余地のないほど早く彼らに続いて飛び込んで、なぜ断りなしにしかも深夜に引越をするそれでも君は紳士かと云うと、我輩が我輩の荷物をわきへ運ぶに誰に断わる必要がある。また何時に荷を出そうとこっちの勝手じゃないかと亭主が抗弁する。それからだんだん議論に花が咲いて壮語《そうご》四隣を驚かすと云う騒ぎであったそうな。元来この家は神さんの名前でかりている。ところが七年前に少々家賃を滞《とどこ》おらしたのが今日まで祟《たた》っていて出る事ができん。しかも彼の財産は早晩家賃のかたに取られるという始末だ。しかし憐《あわ》れなる姉妹は別段取押えられて困るような物も持っていない。差配もそれには目をつけておらん。ただこの老差配の目ざしているのは亭主その人の家財にある。亭主も二十世紀の人間だからその辺に抜かりはない。代言人の所へ行ってちゃんと相談している。日没後日出前なれば彼の家具を運び出しても差配は指を啣《くわ》えて見物しておらねばならぬと云う事を承知している。それだから朝の三時頃から大
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