本の状態では、西洋の煙管気狂《パイプきちがい》の十分の一も無かろうと思う。だから丸善で売れる一日に百本の万年筆の九十九本迄は、尋常の人間の必要に逼《せま》られて机上《きじょう》若《もし》くはポッケット内に備え付ける実用品と見て差支《さしつかえ》あるまい。して見ると、万年筆が輸入されてから今日迄に既に何年を経過したか分らないが、兎《と》に角《かく》高価の割には大変需要の多いものになりつつあるのは争う可《べか》らざる事実の様である。
万年筆の最上等になると一本で三百円もするのがあるとかいう話である。丸善へ取り寄せてあるのでも既に六十五円とかいう高価なものがあるとか聞いた。固《もと》より一般の需要は十円内外の低廉《ていれん》な種類に限られているのだろうが、夫《それ》にしても、一つ一銭のペンや一本三銭の水筆に比べると何百倍という高価に当るのだから、それが日に百本も売れる以上は、我々の購買力が此の便利ではあるが贅沢品《ぜいたくひん》と認めなければならないものを愛玩《あいかん》[#「あいかん」はママ]するに適当な位進んで来たのか、又は座右《ざゆう》に欠くべからざる必要品として価の廉不廉に拘《かか
前へ
次へ
全8ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング