直《すぐ》にあの作に依って世間全体のああした性格の女性を説明し尽したと思われては困る。両方ともああ云う性格の女はああなると定《きま》っては居ない。唯《ただ》、パティキュラー・ケースがああなると云う丈《だ》けで、全体がああ云う運命になると云うことは含んで居ない。
 で、ああした二個の女性を描き、あの事件を発展させ、そしてああした終りになったのは、何か教訓的意味を含んで居るのではないかとのお尋ねであるが、一体教訓と言えば、所謂《いわゆる》昔流の小説に於て、道徳上の制裁を、読者も、作者も予期して居た時代に、人の云々した世の中の教訓に合わして拵《こし》らえたのかとお聞きになるのならば、然《そ》うじゃないとお答えする。それは作家として茲《ここ》に一種の教訓的の考えを頭に置いて、其考えに都合の好いように人物を造り、事件を発展させて作物を捏《こ》ね上げたと云うことは、自分で作家の資格を削《けず》り取ると同じことではあるまいか。けれ共、一種の作品が出来て、其作品が、作品として出来上る――即《すなわ》ち作品として外のモーチブに支配を受けないと云う意味、更に言葉を換えて詳《くわ》しく云うならば、自分が利害
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