云うのは、茲《ここ》に判然と具象的に出来上ったものに就《つい》て云うことで、それを、作物の未《ま》だ出来上って居ない未来のことに就《つい》て、今茲に判然と云うことは出来ない。
では過去の作物に就《つい》て話せと云うのですか。では貴方《あなた》の方で質問を呈出して下さい。それに就てお答えすることにします。『虞美人草《ぐびじんそう》』の藤尾の性格は、我儘《わがまま》に育った我《が》の強い所から来たのか、自意識の強いモダーンな所から来たのかと云うのですか。それは両方に跨《またが》って居る。単に自意識の強いモダーンな所を見せようと云う、それを目的にして書いたなら、ああは書かなかったであろう。併《しか》し一面に於《おい》てはそれも含んで居る。柔順な女と、我の強い女を、藤尾と糸公に依って対照させ、そして、然《そ》うした性格の異る二個の女性の運命を書いて見せたのかと云うのかね。別に然《そ》んな考えはない。必ずしも自意識の強い女はああ云う風に終るもので、お糸のように順良な女は、ああ云う結果になると定《きま》ったものではない。従って、あの作に異った性格を有する二個の女性の運命が書いてあるからと云って、
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