し馬場下の家にではない。馬場下の家は他人の所有になってから久しいものだ。
 僕はこんなずぼらな、のんきな兄らの中に育ったのだ。また従兄《いとこ》にも通人がいた。全体にソワソワと八笑人か七変人のより合いの宅《いえ》みたよに、一日|芝居《しばい》の仮声《かせい》をつかうやつもあれば、素人落語《しろうとばなし》もやるというありさまだ。僕は一番上の兄に監督せられていた。
 一番上の兄だって道楽者の素質は十分もっていた。僕かね、僕だってうんとあるのさ、けれども何分貧乏とひまがないから、篤行《とっこう》の君子を気取って描《ねこ》と首っ引《ぴ》きしているのだ。子供の時分には腕白者《わんぱくもの》でけんかがすきで、よくアバレ者としかられた。あの穴八幡《あなはちまん》の坂をのぼってずっと行くと、源兵衛村《げんべえむら》のほうへ通う分岐道《わかれみち》があるだろう。あすこをもっと行くと諏訪《すわ》の森の近くに越後様《えちごさま》という殿様のお邸《やしき》があった。あのお邸の中に桑木|厳翼《げんよく》さんの阿母《あぼ》さんのお里があって鈴木とかいった。その鈴木の家の息子がおりおり僕の家へ遊びに来たことがあっ
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