いことがあるんだ。何でも何代目かの人が、君に裏切りとかをしたということだ。家の紋《もん》は井桁《いげた》の中に菊の紋だ。今あのへんを喜久井町というのは、僕の父親《おやじ》がつけたので、家の紋から、菊井を喜久井とかえたのだそうな。こんなことはそうさなあ、明治の始めごろの話だぜ、名主というものがまだあった時分だろうな。
 名主には帯刀《たいとう》ごめんとそうでないのとの二つがあったが、僕の父親はどっちだったか忘れてしまった。あの相模屋《さがみや》という大きな質屋と酒屋との間の長屋は、僕の家の長屋で、あの時分に玄関を作れるのは名主にだけは許されていたから、名主一名お玄関様という奇抜《きばつ》な尊称を父親はちょうだいしてさかんにいばっていたんだろう。
 家は明治十四五年ごろまであったのだが、兄《あに》きらが道楽者でさんざんにつかって、家なんかは人手に渡してしまったのだ。兄きは四人あった。一番上のは当時の大学で化学を研究していたが死んだ。二番目のはずいぶんふるった道楽ものだった。唐棧《とうざん》の着物なんか着て芸者買いやら吉原通いにさんざん使ってこれも死んだ。三番目のが今、無事で牛込にいる。しか
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