踏《ふ》んで夜なかに下宿へ帰るほど馬鹿気た事はない。四五日《しごんち》すると、うちの婆さんが少々心配を始めて、奥《おく》さんのおありるのに、夜遊びはおやめたがええぞなもしと忠告した。そんな夜遊びとは夜遊びが違う。こっちのは天に代って誅戮《ちゅうりく》を加える夜遊びだ。とはいうものの一週間も通って、少しも験《げん》が見えないと、いやになるもんだ。おれは性急《せっかち》な性分だから、熱心になると徹夜《てつや》でもして仕事をするが、その代り何によらず長持ちのした試しがない。いかに天誅党でも飽《あ》きる事に変りはない。六日目には少々いやになって、七日目にはもう休もうかと思った。そこへ行くと山嵐は頑固《がんこ》なものだ。宵《よい》から十二時|過《すぎ》までは眼を障子へつけて、角屋の丸ぼやの瓦斯燈《がすとう》の下を睨《にら》めっきりである。おれが行くと今日は何人客があって、泊《とま》りが何人、女が何人といろいろな統計を示すのには驚ろいた。どうも来ないようじゃないかと云うと、うん、たしかに来るはずだがと時々|腕組《うでぐみ》をして溜息《ためいき》をつく。可愛想に、もし赤シャツがここへ一度来てくれなければ、山嵐は、生涯《しょうがい》天誅を加える事は出来ないのである。
 八日目には七時頃から下宿を出て、まずゆるりと湯に入って、それから町で鶏卵《けいらん》を八つ買った。これは下宿の婆さんの芋責《いもぜめ》に応ずる策である。その玉子を四つずつ左右の袂《たもと》へ入れて、例の赤手拭《あかてぬぐい》を肩《かた》へ乗せて、懐手《ふところで》をしながら、枡屋《ますや》の楷子段《はしごだん》を登って山嵐の座敷《ざしき》の障子をあけると、おい有望有望と韋駄天《いだてん》のような顔は急に活気を呈《てい》した。昨夜《ゆうべ》までは少し塞《ふさ》ぎの気味で、はたで見ているおれさえ、陰気臭《いんきくさ》いと思ったくらいだが、この顔色を見たら、おれも急にうれしくなって、何も聞かない先から、愉快《ゆかい》愉快と云った。
「今夜七時半頃あの小鈴《こすず》と云う芸者が角屋へはいった」
「赤シャツといっしょか」
「いいや」
「それじゃ駄目だ」
「芸者は二人づれだが、――どうも有望らしい」
「どうして」
「どうしてって、ああ云う狡《ずる》い奴だから、芸者を先へよこして、後から忍んでくるかも知れない」
「そうかも知れない
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