《げんばつろん》を述べたから、おや変だなと首を捩《ひね》った。萩野《はぎの》の婆《ばあ》さんから、山嵐が、うらなり君のために赤シャツと談判をしたと聞いた時は、それは感心だと手を拍《う》った。この様子ではわる者は山嵐じゃあるまい、赤シャツの方が曲ってるんで、好加減《いいかげん》な邪推《じゃすい》を実《まこと》しやかに、しかも遠廻《とおまわ》しに、おれの頭の中へ浸《し》み込《こ》ましたのではあるまいかと迷ってる矢先へ、野芹川《のぜりがわ》の土手で、マドンナを連れて散歩なんかしている姿を見たから、それ以来赤シャツは曲者《くせもの》だと極《き》めてしまった。曲者だか何だかよくは分《わか》らないが、ともかくも善《い》い男じゃない。表と裏とは違《ちが》った男だ。人間は竹のように真直《まっすぐ》でなくっちゃ頼《たの》もしくない。真直なものは喧嘩《けんか》をしても心持ちがいい。赤シャツのようなやさしいのと、親切なのと、高尚《こうしょう》なのと、琥珀《こはく》のパイプとを自慢《じまん》そうに見せびらかすのは油断が出来ない、めったに喧嘩も出来ないと思った。喧嘩をしても、回向院《えこういん》の相撲《すもう》のような心持ちのいい喧嘩は出来ないと思った。そうなると一銭五厘の出入《でいり》で控所《ひかえじょ》全体を驚《おど》ろかした議論の相手の山嵐の方がはるかに人間らしい。会議の時に金壺眼《かなつぼまなこ》をぐりつかせて、おれを睨《にら》めた時は憎《にく》い奴だと思ったが、あとで考えると、それも赤シャツのねちねちした猫撫声《ねこなでごえ》よりはましだ。実はあの会議が済んだあとで、よっぽど仲直りをしようかと思って、一こと二こと話しかけてみたが、野郎《やろう》返事もしないで、まだ眼《め》を剥《むく》ってみせたから、こっちも腹が立ってそのままにしておいた。
 それ以来山嵐はおれと口を利かない。机の上へ返した一銭五厘はいまだに机の上に乗っている。ほこりだらけになって乗っている。おれは無論手が出せない、山嵐は決して持って帰らない。この一銭五厘が二人の間の墻壁《しょうへき》になって、おれは話そうと思っても話せない、山嵐は頑《がん》として黙《だま》ってる。おれと山嵐には一銭五厘が祟《たた》った。しまいには学校へ出て一銭五厘を見るのが苦になった。
 山嵐とおれが絶交の姿となったに引き易《か》えて、赤シャツとお
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