ある。避けなければならぬ。苦痛そのものは避けがたい世であろう。しかし拘泥の苦痛は一日で済む苦痛を五日《いつか》、七日《なぬか》に延長する苦痛である。いらざる苦痛である。避けなければならぬ。
「自己が拘泥するのは他人が自己に注意を集注すると思うからで、つまりは他人が拘泥するからである。……」
高柳君は音楽会の事を思いだした。
「したがって拘泥を解脱するには二つの方法がある。他人がいくら拘泥しても自分は拘泥せぬのが一つの解脱法である。人が目を峙《そばだ》てても、耳を聳《そび》やかしても、冷評しても罵詈《ばり》しても自分だけは拘泥せずにさっさと事を運んで行く。大久保彦左衛門《おおくぼひこざえもん》は盥《たらい》で登城《とじょう》した事がある。……」
高柳君は彦左衛門が羨《うらや》ましくなった。
「立派な衣装《いしょう》を馬士《まご》に着せると馬士はすぐ拘泥してしまう。華族や大名はこの点において解脱の方を得ている。華族や大名に馬士の腹掛《はらがけ》をかけさすと、すぐ拘泥してしまう。釈迦《しゃか》や孔子《こうし》はこの点において解脱を心得ている。物質界に重《おもき》を置かぬものは物質界に拘泥
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