する必要がないからである。……」
高柳君は冷《さ》めかかった牛乳をぐっと飲んで、ううと云った。
「第二の解脱法は常人《じょうじん》の解脱法である。常人の解脱法は拘泥を免《まぬ》かるるのではない、拘泥せねばならぬような苦しい地位に身を置くのを避けるのである。人の視聴を惹《ひ》くの結果、われより苦痛が反射せぬようにと始めから用心するのである。したがって始めより流俗《りゅうぞく》に媚《こ》びて一世に附和《ふわ》する心底《しんてい》がなければ成功せぬ。江戸風な町人はこの解脱法を心得ている。芸妓通客《げいぎつうかく》はこの解脱法を心得ている。西洋のいわゆる紳士《ゼントルマン》はもっともよくこの解脱法を心得たものである。……」
芸者と紳士《ゼントルマン》がいっしょになってるのは、面白いと、青年はまた焼麺麭《やきパン》の一|片《ぺん》を、横合から半円形に食い欠いた。親指についた牛酪《バタ》をそのまま袴《はかま》の膝《ひざ》へなすりつけた。
「芸妓、紳士、通人《つうじん》から耶蘇《ヤソ》孔子《こうし》釈迦《しゃか》を見れば全然たる狂人である。耶蘇、孔子、釈迦から芸妓、紳士、通人を見れば依然として拘
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