いて等しく拘泥《こうでい》を免《まぬ》かれぬところが、身体《からだ》より煩《わずら》いになる。
「一能《いちのう》の士《し》は一能に拘泥《こうでい》し、一芸《いちげい》の人は一芸に拘泥して己《おの》れを苦しめている。芸能は気の持ちようではすぐ忘れる事も出来る。わが欠点に至っては容易に解脱《げだつ》は出来ぬ。
「百円や二百円もする帯をしめて女が音楽会へ行くとこの帯が妙に気になって音楽が耳に入らぬ事がある。これは帯に拘泥《こうでい》するからである。しかしこれは自慢の例じゃ。得意の方は前云う通り祟《たた》りを避け易《やす》い。しかし不面目《ふめんぼく》の側はなかなか強情に祟《たた》る。昔しさる所で一人の客に紹介された時、御互に椅子の上で礼をして双方共|頭《かしら》を下げた。下げながら、向うの足を見るとその男の靴足袋《くつたび》の片々《かたかた》が破れて親指の爪が出ている。こちらが頭を下げると同時に彼は満足な足をあげて、破《や》れ足袋《たび》の上に加えた。この人は足袋の穴に拘泥していたのである。……」
おれも拘泥している。おれのからだは穴だらけだと高柳君は思いながら先へ進む。
「拘泥は苦痛で
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