ダワ[#「コダワ」に傍点]って来る。ところが非常に健康な人は行住坐臥《ぎょうじゅうざが》ともにわが身体の存在を忘れている。一点の局部だにわが注意を集注すべき患所《かんしょ》がないから、かく安々と胖《ゆた》かなのである。瘠《や》せて蒼《あお》い顔をしている人に、君は胃が悪いだろうと尋ねて見た事がある。するとその男が答えて、胃は少しも故障がない、その証拠には僕はこの年になるが、いまだに胃がどこにあるか知らないと云うた。その時は笑って済んだが、後《あと》で考えて見ると大《おおい》に悟《さと》った言葉である。この人は全く胃が健康だから胃に拘泥《こうでい》する必要がない、必要がないから胃がどこにあっても構わないのと見える。自在飲《じざいいん》、自在食《じざいしょく》、いっこう平気である。この男は胃において悟《さとり》を開いたものである。……」
 高柳君はこれは少し妙だよと口のなかで云った。胃の悟りは妙だと云った。
「胃について道《い》い得べき事は、惣身《そうしん》についても道い得べき事である。惣身について道い得べき事は、精神についても道《い》い得べき事である。ただ精神生活においては得失の両面にお
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