る。ことによると崩《くず》れかかった藁屋根《わらやね》に初霜《はつしも》が降ったかも知れない。鶏《にわとり》が菊の根方を暴《あ》らしている事だろう。母は丈夫かしら。
向うの机を占領している学生が二人、西洋菓子を食いながら、団子坂《だんござか》の菊人形の収入について大《おおい》に論じている。左に蜜柑《みかん》をむきながら、その汁《しる》を牛乳の中へたらしている書生がある。一房絞《ひとふさしぼ》っては、文芸倶楽部《ぶんげいくらぶ》の芸者の写真を一枚はぐり、一房|絞《しぼ》っては一枚はぐる。芸者の絵が尽きた時、彼はコップの中を匙《さじ》で攪《か》き廻して妙な顔をしている。酸《さん》で牛乳が固まったので驚ろいているのだろう。
高柳君はそこに重ねてある新聞の下から雑誌を引きずり出して、あれこれと見る。目的の江湖雑誌《こうこざっし》は朝日新聞の下に折れていた。折れてはいるがまだ新らしい。四五日前に出たばかりのである。折れた所は六号活字で何だか色鉛筆の赤い圏点《けんてん》が一面についている。僕の恋愛観と云う表題の下に中野春台《なかのしゅんたい》とある。春台は無論|輝一《きいち》の号である。高柳君
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