もっと皺苦茶《しわくちゃ》だ」
「要するに僕と伯仲《はくちゅう》の間か」
「要するに君と伯仲の間だ」
「そうかなあ。――君、背《せい》の高い、ひょろ長い人だぜ」
「背の高い、顔の細長い人だ」
「じゃ道也先生に違ない。――世の中は随分|無慈悲《むじひ》なものだなあ。――君番地を知ってるだろう」
「番地は聞かなかった」
「聞かなかった?」
「うん。しかし江湖雑誌《こうこざっし》で聞けばすぐわかるさ。何でもほかの雑誌や新聞にも関係しているかも知れないよ。どこかで白井道也と云う名を見たようだ」
 音楽会の帰りの馬車や車は最前《さいぜん》から絡繹《らくえき》として二人を後ろから追い越して夕暮を吾家《わがや》へ急ぐ。勇ましく馳《か》けて来た二|梃《ちょう》の人力《じんりき》がまた追い越すのかと思ったら、大仏を横に見て、西洋軒のなかに掛声ながら引き込んだ。黄昏《たそがれ》の白き靄《もや》のなかに、逼《せま》り来る暮色を弾《はじ》き返すほどの目覚《めざま》しき衣《きぬ》は由《よし》ある女に相違ない。中野君はぴたりと留まった。
「僕はこれで失敬する。少し待ち合せている人があるから」
「西洋軒で会食すると
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