演奏は第二に移る。千余人の呼吸は一度にやむ。高柳君の心はまた豊かになった。窓の外を見ると鳶はもう舞っておらぬ。眼を移して天井《てんじょう》を見る。周囲一尺もあろうと思われる梁の六角形に削《けず》られたのが三本ほど、楽堂を竪《たて》に貫《つら》ぬいている、後ろはどこまで通っているか、頭《かしら》を回《めぐ》らさないから分らぬ。所々に模様に崩《くず》した草花が、長い蔓《つる》と共に六角を絡《から》んでいる。仰向《あおむ》いて見ていると広い御寺のなかへでも這入《はい》った心持になる。そうして黄色い声や青い声が、梁を纏《まと》う唐草《からくさ》のように、縺《もつ》れ合って、天井から降《ふ》ってくる。高柳君は無人《むにん》の境《きょう》に一人坊っちで佇《たたず》んでいる。
三度目の拍手が、断わりもなくまた起る。隣りの友達は人一倍けたたましい敲き方をする。無人の境におった一人坊っちが急に、霰《あられ》のごとき拍手のなかに包囲された一人坊っちとなる。包囲はなかなか已《や》まぬ。演奏者が闥《たつ》を排《はい》してわが室《しつ》に入らんとする間際《まぎわ》になおなお烈《はげ》しくなった。ヴァイオリ
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