持ちで往来へ出る。
時計はもう四時過ぎである。深い碧《みど》りの上へ薄いセピヤを流した空のなかに、はっきりせぬ鳶《とび》が一羽舞っている。雁《かり》はまだ渡って来ぬ。向《むこう》から袴《はかま》の股立《ももだ》ちを取った小供が唱歌を謡《うた》いながら愉快そうにあるいて来た。肩に担《かつ》いだ笹《ささ》の枝には草の穂で作った梟《ふくろう》が踊りながらぶら下がって行く。おおかた雑子《ぞうし》ヶ谷《や》へでも行ったのだろう。軒の深い菓物屋《くだものや》の奥の方に柿ばかりがあかるく見える。夕暮に近づくと何となくうそ寒い。
薬王寺前《やくおうじまえ》に来たのは、帽子の庇《ひさし》の下から往来《ゆきき》の人の顔がしかと見分けのつかぬ頃である。三十三|所《じょ》と彫《ほ》ってある石標《せきひょう》を右に見て、紺屋《こんや》の横町を半丁ほど西へ這入《はい》るとわが家《や》の門口《かどぐち》へ出る、家《いえ》のなかは暗い。
「おや御帰り」と細君が台所で云う。台所も玄関も大した相違のないほど小さな家である。
「下女はどっかへ行ったのか」と二畳の玄関から、六畳の座敷へ通る。
「ちょっと、柳町まで使に行き
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