の毒でも白井違いで気の毒がったのでは役に立たない。気の毒がるためには、聞き糺すためには「あなたが白井道也とおっしゃるんで」と切り出さなくってはならなかった。しかしせっかくの切り出しようも泰然たる「はい」のために無駄死《むだじに》をしてしまった。初心《しょしん》なる文学士は二の句をつぐ元気も作略《さりゃく》もないのである。人に同情を寄せたいと思うとき、向《むこう》が泰然の具足で身を固めていては芝居にはならん。器用なものはこの泰然の一角《いっかく》を針で突き透《とお》しても思《おもい》を遂《と》げる。中野君は好人物ながらそれほどに人を取り扱い得るほど世の中を知らない。
「実は今日御邪魔に上がったのは、少々御願があって参ったのですが」と今度は道也先生の方から打って出る。御願は同情の好敵手である。御願を持たない人には同情する張り合がない。
「はあ、何でも出来ます事なら」と中野君は快く承知した。
「実は今度|江湖雑誌《こうこざっし》で現代青年の煩悶《はんもん》に対する解決と云う題で諸先生方の御高説を発表する計画がありまして、それで普通の大家ばかりでは面白くないと云うので、なるべく新しい方もそれぞ
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