ごとく、波を描《えが》いて床《ゆか》の上に落ちている。暖炉《だんろ》は塞《ふさ》いだままの一尺前に、二枚折《にまいおり》の小屏風《こびょうぶ》を穴隠しに立ててある。窓掛は緞子《どんす》の海老茶色《えびちゃいろ》だから少々全体の装飾上調和を破るようだが、そんな事は道也先生の眼には入《い》らない。先生は生れてからいまだかつてこんな奇麗《きれい》な室《へや》へ這入《はい》った事はないのである。
 先生は仰いで壁間《へきかん》の額を見た。京の舞子が友禅《ゆうぜん》の振袖《ふりそで》に鼓《つづみ》を調べている。今打って、鼓から、白い指が弾《はじ》き返されたばかりの姿が、小指の先までよくあらわれている。しかし、そんな事に気のつく道也先生ではない。先生はただ気品のない画《え》を掛けたものだと思ったばかりである。向《むこう》の隅《すみ》にヌーボー式の書棚があって、美しい洋書の一部が、窓掛の隙間《すきま》から洩《も》れて射《さ》す光線に、金文字の甲羅《こうら》を干《ほ》している。なかなか立派である。しかし道也先生これには毫《ごう》も辟易《へきえき》しなかった。
 ところへ中野君が出てくる。紬《つむぎ》の
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