も受けずに、ひそやかに控えている。正面には高さ四尺の金屏《きんびょう》に、三条《さんじょう》の小鍛冶《こかじ》が、異形《いぎょう》のものを相槌《あいづち》に、霊夢《れいむ》に叶《かな》う、御門《みかど》の太刀《たち》を丁《ちょう》と打ち、丁と打っている。
 取次に出たのは十八九のしとやかな下女である。白井道也《しらいどうや》と云《い》う名刺を受取ったまま、あの若旦那様で? と聞く。道也先生は首を傾《かたむ》けてちょっと考えた。若旦那にも大旦那にも中野と云う人に逢うのは今が始めてである。ことによるとまるで逢えないで帰るかも計《はか》られん。若旦那か大旦那かは逢って始めてわかるのである。あるいは分らないで生涯《しょうがい》それぎりになるかも知れない。今まで訪問に出懸《でか》けて、年寄か、小供か、跛《ちんば》か、眼っかちか、要領を得る前に門前から追い還《かえ》された事は何遍もある。追い還されさえしなければ大旦那か若旦那かは問うところでない。しかし聞かれた以上はどっちか片づけなければならん。どうでもいい事を、どうでもよくないように決断しろと逼《せま》らるる事は賢者《けんじゃ》が愚物《ぐぶつ》に
前へ 次へ
全222ページ中38ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング