道《たいどう》を行き尽して、途上に斃るる刹那《せつな》に、わが過去を一瞥《いちべつ》のうちに縮め得て始めて合点《がてん》が行《ゆ》くのである。諸君は諸君の事業そのものに由《よ》って伝えられねばならぬ。単に諸君の名に由って伝えられんとするは軽薄である」
高柳君は何となくきまりがわるかった。道也の輝やく眼が自分の方に注《そそ》いでいるように思《おもわ》れる。
「理想は人によって違う。吾々は学問をする。学問をするものの理想は何であろう」
聴衆は黙然《もくねん》として応ずるものがない。
「学問をするものの理想は何であろうとも――金でない事だけはたしかである」
五六ヵ所に笑声が起る。道也先生の裕福《ゆうふく》ならぬ事はその服装を見たものの心から取り除《の》けられぬ事実である。道也先生は羽織のゆきを左右の手に引っ張りながら、まず徐《おもむ》ろにわが右の袖《そで》を見た。次に眼を転じてまた徐ろにわが左の袖を見た。黒木綿《くろもめん》の織目のなかに砂がいっぱいたまっている。
「随分きたない」と落ちつき払って云った。
笑声《しょうせい》が満場に起る。これはひやかしの笑声ではない。道也先生はひやか
前へ
次へ
全222ページ中197ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング