歳まで生きるかは、生きたあとで始めて言うべき事である。八十歳まで生きたと云う事は八十歳まで生きた事実が証拠立ててくれねばならん。たとい八十歳まで生きる自信があって、その自信通りになる事が明瞭《めいりょう》であるにしても、現に生きたと云う事実がない以上は誰も信ずるものはない。したがって言うべきものでない。理想の黙示《もくじ》を受けて行くべき道を行くのもその通りである。自己がどれほどに自己の理想を現実にし得るかは自己自身にさえ計られん。過去がこうであるから、未来もこうであろうぞと臆測《おくそく》するのは、今まで生きていたから、これからも生きるだろうと速断するようなものである。一種の山である。成功を目的にして人生の街頭に立つものはすべて山師《やまし》である」
 高柳君の隣りにいた薩摩絣《さつまがすり》は妙な顔をした。
「社会は修羅場《しゅらじょう》である。文明の社会は血を見ぬ修羅場である。四十年|前《ぜん》の志士は生死の間《あいだ》に出入《しゅつにゅう》して維新の大業を成就した。諸君の冒《おか》すべき危険は彼らの危険より恐ろしいかも知れぬ。血を見ぬ修羅場は砲声剣光の修羅場よりも、より深刻に、
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