を悪《わ》るがる事は忘れている。この夫婦の境界《きょうがい》にある人は、いくらきまりを悪るがる性分《しょうぶん》でも、きまりをわるがらずに生涯《しょうがい》を済ませる事が出来る。
「いらっしゃるなら、ここにいて上げる方がいいでしょう」
「来る事は受け合うよ。――いいさ、奥はおやじや何かだいぶいるから」
愛は善人である。善人はその友のために自家の不都合を犠牲にするを憚《はば》からぬ。夫婦は高柳君のためにアーチの下に待っている。高柳君は来ねばならぬ。
馬車の客、車の客の間に、ただ一人高柳君は蹌踉《そうろう》として敵地に乗り込んで来る。この海のごとく和気の漲《みなぎ》りたる園遊会――新夫婦の面《おもて》に湛《たた》えたる笑の波に酔うて、われ知らず幸福の同化を享《う》くる園遊会――行く年をしばらくは春に戻して、のどかなる日影に、窮陰《きゅういん》の面《ま》のあたりなるを忘るべき園遊会は高柳君にとって敵地である。
富と勢《いきおい》と得意と満足の跋扈《ばっこ》する所は東西|球《きゅう》を極《きわ》めて高柳君には敵地である。高柳君はアーチの下に立つ新しき夫婦を十歩の遠きに見て、これがわが友で
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