の事実は実際ここまでやって来るんです。うそじゃない。苦しんだのは耶蘇《ヤソ》や孔子《こうし》ばかりで、吾々文学者はその苦しんだ耶蘇や孔子を筆の先でほめて、自分だけは呑気《のんき》に暮して行けばいいのだなどと考えてるのは偽文学者《にせぶんがくしゃ》ですよ。そんなものは耶蘇や孔子をほめる権利はないのです」
高柳君は今こそ苦しいが、もう少し立てば喬木《きょうぼく》にうつる時節があるだろうと、苦しいうちに絹糸ほどな細い望みを繋《つな》いでいた。その絹糸が半分ばかり切れて、暗い谷から上へ出るたよりは、生きているうちは容易に来そうに思われなくなった。
「高柳さん」
「はい」
「世の中は苦しいものですよ」
「苦しいです」
「知ってますか」と道也先生は淋《さび》し気《げ》に笑った。
「知ってるつもりですけれど、いつまでもこう苦しくっちゃ……」
「やり切れませんか。あなたは御両親が御在《おあ》りか」
「母だけ田舎《いなか》にいます」
「おっかさんだけ?」
「ええ」
「御母《おっか》さんだけでもあれば結構だ」
「なかなか結構でないです。――早くどうかしてやらないと、もう年を取っていますから。私が卒業した
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