とつくろった景色《けしき》もなく云う。高柳君にはこの挨拶振《あいさつぶ》りが気に入った。両人はしばらくの間黙って控えている。道也は相手の来意がわからぬから、先方の切り出すのを待つのが当然と考える。高柳君は昔しの関係を残りなく打ち開《あ》けて、一刻も早く同類|相憐《あいあわれ》むの間柄になりたい。しかしあまり突然であるから、ちょっと言い出しかねる。のみならず、一昔《ひとむか》し前の事とは申しながら、自分達がいじめて追い出した先生が、そのためにかく零落《れいらく》したのではあるまいかと思うと、何となく気がひけて云い切れない。高柳君はこんなところになるとすこぶる勇気に乏《とぼ》しい。謝罪かたがた尋ねはしたが、いよいよと云う段になると少々怖《こわ》くて罪滅《つみほろぼ》しが出来かねる。心にいろいろな冒頭を作って見たが、どれもこれもきまりがわるい。
「だんだん寒くなりますね」と道也先生は、こっちの了簡《りょうけん》を知らないから、超然たる時候の挨拶をする。
「ええ、だいぶ寒くなったようで……」
高柳君の脳中の冒頭はこれでまるで打ち壊されてしまった。いっその事自白はこの次にしようという気になる。しかし何だか話して行きたい気がする。
「先生|御忙《おいそ》がしいですか……」
「ええ、なかなか忙がしいんで弱ります。貧乏|閑《ひま》なしで」
高柳君はやり損《そく》なったと思う。再び出直さねばならん。
「少し御話を承《うけたまわ》りたいと思って上がったんですが……」
「はあ、何か雑誌へでも御載《おの》せになるんですか」
あてはまたはずれる。おれの態度がどうしても向《むこう》には酌《く》み取れないと見えると青年は心中少しく残念に思った。
「いえ、そうじゃないので――ただ――ただっちゃ失礼ですが。――御邪魔ならまた上がってもよろしゅうございますが……」
「いえ邪魔じゃありません。談話と云うからちょっと聞いて見たのです。――わたしのうちへ話なんか聞きにくるものはありませんよ」
「いいえ」と青年は妙な言葉をもって先生の辞《ことば》を否定した。
「あなたは何の学問をなさるですか」
「文学の方を――今年大学を出たばかりです」
「はあそうですか。ではこれから何かおやりになるんですね」
「やれれば、やりたいのですが、暇《ひま》がなくって……」
「暇はないですね。わたしなども暇がなくって困っていま
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