野分
夏目漱石
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)白井道也《しらいどうや》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)八年|前《まえ》大学を卒業してから
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「虫+車」、第3水準1−91−55]
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一
白井道也《しらいどうや》は文学者である。
八年|前《まえ》大学を卒業してから田舎《いなか》の中学を二三|箇所《かしょ》流して歩いた末、去年の春|飄然《ひょうぜん》と東京へ戻って来た。流す[#「流す」に傍点]とは門附《かどづけ》に用いる言葉で飄然[#「飄然」に傍点]とは徂徠《そらい》に拘《かか》わらぬ意味とも取れる。道也の進退をかく形容するの適否は作者といえども受合わぬ。縺《もつ》れたる糸の片端《かたはし》も眼を着《ちゃく》すればただ一筋の末とあらわるるに過ぎぬ。ただ一筋の出処《しゅっしょ》の裏には十重二十重《とえはたえ》の因縁《いんねん》が絡《から》んでいるかも知れぬ。鴻雁《こうがん》の北に去りて乙鳥《いっちょう》の南に来《きた》るさえ、鳥の身になっては相当の弁解があるはずじゃ。
始めて赴任《ふにん》したのは越後《えちご》のどこかであった。越後は石油の名所である。学校の在《あ》る町を四五町隔てて大きな石油会社があった。学校のある町の繁栄は三|分《ぶ》二以上この会社の御蔭《おかげ》で維持されている。町のものに取っては幾個の中学校よりもこの石油会社の方が遥《はる》かにありがたい。会社の役員は金のある点において紳士《しんし》である。中学の教師は貧乏なところが下等に見える。この下等な教師と金のある紳士が衝突すれば勝敗《しょうはい》は誰が眼にも明《あきら》かである。道也はある時の演説会で、金力《きんりょく》と品性《ひんせい》と云《い》う題目のもとに、両者の必ずしも一致せざる理由を説明して、暗《あん》に会社の役員らの暴慢と、青年子弟の何らの定見もなくしていたずらに黄白万能主義《こうはくばんのうしゅぎ》を信奉するの弊《へい》とを戒《いまし》めた。
役員らは生意気《なまいき》な奴《やつ》だと云った。町の新聞は無能の教師が高慢な不平を吐《は》くと評した。彼の同僚すら余計な事を
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