ある。しかして愛の空気を呼吸するものは迷とも悟とも知らぬ。ただおのずから人を引きまた人に引かるる。自然は真空を忌《い》み愛は孤立《こりつ》を嫌《きら》う。
「わたし、本当に御気の毒だと思いますわ。わたしが、そんなになったら、どうしようと思うと」
愛は己《おの》れに対して深刻なる同情を有している。ただあまりに深刻なるが故に、享楽の満足ある場合に限りて、自己を貫《つらぬ》き出でて、人の身の上にもまた普通以上の同情を寄せる事ができる。あまりに深刻なるが故に失恋の場合において、自己を貫き出でて、人の身の上にもまた普通以上の怨恨《えんこん》を寄せる事が出来る。愛に成功するものは必ず自己を善人と思う。愛に失敗するものもまた必ず自己を善人と思う。成敗《せいばい》に論なく、愛は一直線である。ただ愛の尺度をもって万事を律する。成功せる愛は同情を乗せて走る馬車馬《ばしゃうま》である。失敗せる愛は怨恨を乗せて走る馬車馬《ばしゃうま》である。愛はもっともわがままなるものである。
もっともわがままなる善人が二人、美くしく飾りたる室《しつ》に、深刻なる遊戯を演じている。室外の天下は蕭寥《しょうりょう》たる秋である。天下の秋は幾多の道也《どうや》先生を苦しめつつある。幾多の高柳君を淋しがらせつつある。しかして二人はあくまでも善人である。
「この間の音楽会には高柳さんとごいっしょでしたね」
「ええ、別に約束した訳《わけ》でもないんですが、途中で逢ったものですから誘ったのです。何だか動物園の前で悲しそうに立って、桜の落葉を眺《なが》めているんです。気の毒になってね」
「よく誘《さそ》って御上《おあ》げになったのね。御病気じゃなくって」
「少し咳《せき》をしていたようです。たいした事じゃないでしょう」
「顔の色が大変|御《お》わるかったわ」
「あの男はあんまり神経質だもんだから、自分で病気をこしらえるんです。そうして慰めてやると、かえって皮肉を云うのです。何だか近来はますます変になるようです」
「御気の毒ね。どうなすったんでしょう」
「どうしたって、好《この》んで一人坊《ひとりぼ》っちになって、世の中をみんな敵《かたき》のように思うんだから、手のつけようがないです」
「失恋なの」
「そんな話もきいた事もないですがね。いっそ細君でも世話をしたらいいかも知れない」
「御世話をして上げたらいいでしょう」
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