にも血色のわるい横顔なのに驚ろかされて、
「御前《おまい》、どうかしたのかい。大変色が悪いよ」と云いながら、鏡から眼を放して、実際の御米の姿を見た。鬢《びん》が乱れて、襟の後《うしろ》の辺《あたり》が垢《あか》で少し汚《よご》れていた。御米はただ、
「寒いせいなんでしょう」と答えて、すぐ西側に付いている。一間《いっけん》の戸棚《とだな》を明けた。下には古い創《きず》だらけの箪笥《たんす》があって、上には支那鞄《しなかばん》と柳行李《やなぎごり》が二つ三つ載《の》っていた。
「こんなもの、どうしたって片づけようがないわね」
「だからそのままにしておくさ」
 小六のここへ引移って来るのは、こう云う点から見て、夫婦のいずれにも、多少迷惑であった。だから来ると云って約束しておきながら、今だに来ない小六に対しては、別段の催促もしなかった。一日延びれば延びただけ窮屈が逃げたような気がどこかでした。小六にもちょうどそれと同じ憚《はばかり》があったので、いられる限《かぎり》は下宿にいる方が便利だと胸をきめたものか、つい一日一日と引越を前《さき》へ送っていた。その癖《くせ》彼の性質として、兄夫婦のごとく
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