茶が染《し》みる。口を開けて息をすると風も染みた。宗助はこの朝歯を磨《みが》くために、わざと痛い所を避《よ》けて楊枝《ようじ》を使いながら、口の中を鏡に照らして見たら、広島で銀を埋《う》めた二枚の奥歯と、研《と》いだように磨《す》り減らした不揃《ぶそろ》の前歯とが、にわかに寒く光った。洋服に着換える時、
「御米、おれは歯の性《しょう》がよっぽど悪いと見えるね。こうやると大抵動くぜ」と下歯を指で動かして見せた。御米は笑いながら、
「もう御年のせいよ」と云って白い襟《えり》を後へ廻って襯衣《シャツ》へ着けた。
宗助はその日の午後とうとう思い切って、歯医者へ寄ったのである。応接間へ通ると、大きな洋卓《テーブル》の周囲《まわり》に天鵞絨《びろうど》で張った腰掛が并《なら》んでいて、待ち合している三四人が、うずくまるように腮《あご》を襟《えり》に埋《うず》めていた。それが皆女であった。奇麗《きれい》な茶色の瓦斯暖炉《ガスストーヴ》には火がまだ焚《た》いてなかった。宗助は大きな姿見に映る白壁の色を斜《なな》めに見て、番の来るのを待っていたが、あまり退屈になったので、洋卓の上に重ねてあった雑誌に眼
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