出る必要はないんだと云ったそうである。
 安之助は忙がしいとかで、一時間足らず話して帰って行ったが、小六の所置については、両人の間に具体的の案は別に出なかった。いずれ緩《ゆっ》くりみんなで寄ってきめよう、都合がよければ小六も列席するが好かろうというのが別れる時の言葉であった。二人になったとき、御米は宗助に、
「何を考えていらっしゃるの」と聞いた。宗助は両手を兵児帯《へこおび》の間に挟《はさ》んで、心持肩を高くしたなり、
「おれももう一返小六みたようになって見たい」と云った。「こっちじゃ、向《むこう》がおれのような運命に陥《おちい》るだろうと思って心配しているのに、向じゃ兄貴なんざあ眼中にないから偉いや」
 御米は茶器を引いて台所へ出た。夫婦はそれぎり話を切り上げて、また床《とこ》を延べて寝《ね》た。夢の上に高い銀河《あまのがわ》が涼しく懸《かか》った。
 次の週間には、小六も来ず、佐伯からの音信《たより》もなく、宗助の家庭はまた平日の無事に帰った。夫婦は毎朝露に光る頃起きて、美しい日を廂《ひさし》の上に見た。夜は煤竹《すすだけ》の台を着けた洋灯《ランプ》の両側に、長い影を描《えが》いて
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