はただ弟の顔を眺《なが》めて、一口、
「困ったな」と云った。昔のように赫《かっ》と激して、すぐ叔母の所へ談判に押し掛ける気色《けしき》もなければ、今まで自分に対して、世話にならないでも済む人のように、よそよそしく仕向けて来た弟の態度が、急に方向を転じたのを、悪《にく》いと思う様子も見えなかった。
 自分の勝手に作り上げた美くしい未来が、半分|壊《くず》れかかったのを、さも傍《はた》の人のせいででもあるかのごとく心を乱している小六の帰る姿を見送った宗助は、暗い玄関の敷居の上に立って、格子《こうし》の外に射す夕日をしばらく眺《なが》めていた。
 その晩宗助は裏から大きな芭蕉《ばしょう》の葉を二枚|剪《き》って来て、それを座敷の縁に敷いて、その上に御米と並んで涼《すず》みながら、小六の事を話した。
「叔母さんは、こっちで、小六さんの世話をしろって云う気なんじゃなくって」と御米が聞いた。
「まあ、逢って聞いて見ないうちは、どう云う料簡《りょうけん》か分らないがね」と宗助が云うと、御米は、
「きっとそうよ」と答えながら、暗がりで団扇《うちわ》をはたはた動かした。宗助は何も云わずに、頸《くび》を延
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