。
こんな会話が老夫婦の間に取り換わされたのは、宗助が出京して以来一度や二度ではなかった。実際彼は叔父の所へ来ると、老人の眼に映る通りの人間に見えた。
御米はどう云うものか、新橋へ着いた時、老人夫婦に紹介されたぎり、かつて叔父の家の敷居を跨《また》いだ事がない。むこうから見えれば叔父さん叔母さんと丁寧《ていねい》に接待するが、帰りがけに、
「どうです、ちと御出かけなすっちゃ」などと云われると、ただ、
「ありがとう」と頭を下げるだけで、ついぞ出掛けた試《ためし》はなかった。さすがの宗助さえ一度は、
「叔父さんの所へ一度行って見ちゃ、どうだい」と勧《すす》めた事があるが、
「でも」と変な顔をするので、宗助はそれぎりけっしてその事を云い出さなかった。
両家族はこの状態で約一年ばかりを送った。すると宗助よりも気分は若いと許された叔父が突然死んだ。病症は脊髄脳膜炎《せきずいのうまくえん》とかいう劇症《げきしょう》で、二三日|風邪《かぜ》の気味で寝《ね》ていたが、便所へ行った帰りに、手を洗おうとして、柄杓《ひしゃく》を持ったまま卒倒したなり、一日《いちんち》経《た》つか経たないうちに冷たくな
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