き取って世話をして貰《もら》う事にした。しかし肝心《かんじん》の家屋敷はすぐ右から左へと売れる訳《わけ》には行かなかった。仕方がないから、叔父に一時の工面《くめん》を頼んで、当座の片をつけて貰った。叔父は事業家でいろいろな事に手を出しては失敗する、云わば山気《やまぎ》の多い男であった。宗助が東京にいる時分も、よく宗助の父を説きつけては、旨《うま》い事を云って金を引き出したものである。宗助の父にも慾があったかも知れないが、この伝《でん》で叔父の事業に注《つ》ぎ込んだ金高はけっして少ないものではなかった。
 父の亡くなったこの際にも、叔父の都合は元と余り変っていない様子であったが、生前の義理もあるし、またこう云う男の常として、いざと云う場合には比較的融通のつくものと見えて、叔父は快よく整理を引き受けてくれた。その代り宗助は自分の家屋敷の売却方についていっさいの事を叔父に一任してしまった。早く云うと、急場の金策に対する報酬として土地家屋を提供したようなものである。叔父は、
「何しろ、こう云うものは買手を見て売らないと損だからね」と云った。
 道具類も積《せき》ばかり取って、金目にならないもの
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