は、ことごとく売り払ったが、五六幅の掛物と十二三点の骨董品《こっとうひん》だけは、やはり気長に欲しがる人を探《さが》さないと損だと云う叔父の意見に同意して、叔父に保管を頼む事にした。すべてを差し引いて手元に残った有金は、約二千円ほどのものであったが、宗助はそのうちの幾分を、小六の学資として、使わなければならないと気がついた。しかし月々自分の方から送るとすると、今日《こんにち》の位置が堅固でない当時、はなはだ実行しにくい結果に陥《おちい》りそうなので、苦しくはあったが、思い切って、半分だけを叔父に渡して、何分|宜《よろ》しくと頼んだ。自分が中途で失敗《しくじ》ったから、せめて弟だけは物にしてやりたい気もあるので、この千円が尽きたあとは、またどうにか心配もできようしまたしてくれるだろうぐらいの不慥《ふたしか》な希望を残して、また広島へ帰って行った。
 それから半年ばかりして、叔父の自筆で、家はとうとう売れたから安心しろと云う手紙が来たが、いくらに売れたとも何とも書いてないので、折り返して聞き合せると、二週間ほど経《た》っての返事に、優に例の立替を償《つぐな》うに足る金額だから心配しなくても
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