ありませんが、そこが物は比較的なところでね。私はいつか清水谷の公園の前を通って驚ろいた事がある」と変な方面へ話を持って行った。こういう風に、それからそれへと客を飽《あ》かせないように引張って行くのが、社交になれた主人の平生の調子であった。
 彼の云うところによると、清水谷から弁慶橋へ通じる泥溝《どぶ》のような細い流の中に、春先になると無数の蛙《かえる》が生れるのだそうである。その蛙が押し合い鳴き合って生長するうちに、幾百組か幾千組の恋が泥渠《どぶ》の中で成立する。そうしてそれらの愛に生きるものが重ならないばかりに隙間《すきま》なく清水谷から弁慶橋へ続いて、互に睦《むつ》まじく浮いていると、通り掛りの小僧だの閑人《ひまじん》が、石を打ちつけて、無残にも蛙の夫婦を殺して行くものだから、その数がほとんど勘定《かんじょう》し切れないほど多くなるのだそうである。
「死屍累々《ししるいるい》とはあの事ですね。それが皆《みんな》夫婦なんだから実際気の毒ですよ。つまりあすこを二三丁通るうちに、我々は悲劇にいくつ出逢うか分らないんです。それを考えると御互は実に幸福でさあ。夫婦になってるのが悪《にく》らし
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