全く人の性質《たち》で、それだけでは優劣にはなりません。入りやすくても後《あと》で塞《つか》えて動かない人もありますし、また初め長く掛かっても、いよいよと云う場合に非常に痛快にできるのもあります。けっして失望なさる事はございません。ただ熱心が大切です。亡《な》くなられた洪川和尚《こうせんおしょう》などは、もと儒教をやられて、中年からの修業でございましたが、僧になってから三年の間と云うものまるで一則《いっそく》も通らなかったです。それで私《わし》は業《ごう》が深くて悟れないのだと云って、毎朝|厠《かわや》に向って礼拝《らいはい》されたくらいでありましたが、後にはあのような知識になられました。これなどはもっとも好い例です」
宜道はこんな話をして、暗《あん》に宗助が東京へ帰ってからも、全くこの方を断念しないようにあらかじめ間接の注意を与えるように見えた。宗助は謹《つつし》んで、宜道のいう事に耳を借した。けれども腹の中では大事がもうすでに半分去ったごとくに感じた。自分は門を開《あ》けて貰いに来た。けれども門番は扉の向側《むこうがわ》にいて、敲《たた》いてもついに顔さえ出してくれなかった。ただ
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