かん》のような顔をしている気楽そうな男であった。細い大根《だいこ》を三四本ぶら下げて、今日は御馳走《ごちそう》を買って来たと云って、それを宜道に煮てもらって食った。宜道も宗助もその相伴《しょうばん》をした。この居士は顔が坊さんらしいので、時々僧堂の衆に交って、村の御斎《おとき》などに出かける事があるとか云って宜道が笑っていた。
 そのほか俗人で山へ修業に来ている人の話もいろいろ聞いた。中に筆墨《ふですみ》を商《あきな》う男がいた。背中へ荷をいっぱい負《しょ》って、二十日《はつか》なり三十日《さんじゅうにち》なり、そこら中回って歩いて、ほぼ売り尽してしまうと山へ帰って来て坐禅をする。それからしばらくして食うものがなくなると、また筆墨を背に載《の》せて行商に出る。彼はこの両面の生活を、ほとんど循環小数《じゅんかんしょうすう》のごとく繰り返して、飽《あ》く事を知らないのだと云う。
 宗助は一見《いっけん》こだわりの無さそうなこれらの人の月日と、自分の内面にある今の生活とを比べて、その懸隔《けんかく》の甚《はなは》だしいのに驚ろいた。そんな気楽な身分だから坐禅《ざぜん》ができるのか、あるいは坐
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