》もなかったのだけれども、――ついあすこいらで牛《ぎゅう》が食いたくなっただけの事さ」
「そうして御腹《おなか》を消化《こな》すために、わざわざここまで歩るいていらしったの」
「まあ、そうだ」
 御米はおかしそうに笑った。宗助はむしろ苦しかった。しばらくして、
「留守に坂井さんから迎いに来なかったかい」と聞いた。
「いいえ、なぜ」
「一昨日《おととい》の晩行ったとき、御馳走《ごちそう》するとか云っていたからさ」
「また?」
 御米は少し呆《あき》れた顔をした。宗助はそれなり話を切り上げて寝た。頭の中をざわざわ何か通った。時々眼を開けて見ると、例のごとく洋灯《ランプ》が暗くして床の間の上に載《の》せてあった。御米はさも心地好さそうに眠っていた。ついこの間までは、自分の方が好く寝られて、御米は幾晩も睡眠の不足に悩まされたのであった。宗助は眼を閉じながら、明らかに次の間の時計の音を聞かなければならない今の自分をさらに心苦しく感じた。その時計は最初は幾つも続けざまに打った。それが過ぎると、びんとただ一つ鳴った。その濁った音が彗星《ほうきぼし》の尾のようにほうと宗助の耳朶《みみたぶ》にしばらく響
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