った。盆の上に焼き余りの餅が三切《みきれ》か四片《よきれ》載《の》せてあった。網の下から小皿に残った醤油の色が見えた。
 小六は席を立って、
「面白かったですか」と聞いた。夫婦は十分ほど身体《からだ》を炬燵《こたつ》で暖めた上すぐ床へ入った。
 翌日になっても宗助の心に落ちつきが来なかった事は、ほぼ前の日と同じであった。役所が退《ひ》けて、例の通り電車へ乗ったが、今夜自分と前後して、安井が坂井の家へ客に来ると云う事を想像すると、どうしても、わざわざその人と接近するために、こんな速力で、家《うち》へ帰って行くのが不合理に思われた。同時に安井はその後どんなに変化したろうと思うと、よそから一目彼の様子が眺《なが》めたくもあった。
 坂井が一昨日《おととい》の晩、自分の弟《おとと》を評して、一口に「冒険者《アドヴェンチュアラー》」と云った、その音《おん》が今宗助の耳に高く響き渡った。宗助はこの一語の中に、あらゆる自暴と自棄と、不平と憎悪《ぞうお》と、乱倫と悖徳《はいとく》と、盲断と決行とを想像して、これらの一角《いっかく》に触れなければならないほどの坂井の弟と、それと利害を共にすべく満洲からい
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