たが、それは一時《いちじ》の事で、すぐ退《ひ》いたには退いたから、これでもう全快と思うと、いつまで立っても判然《はっきり》しなかった。安井は黐《もち》のような熱に絡《から》みつかれて、毎日その差し引きに苦しんだ。
医者は少し呼吸器を冒《おか》されているようだからと云って、切に転地を勧めた。安井は心ならず押入の中の柳行李《やなぎごうり》に麻縄《あさなわ》を掛けた。御米は手提鞄《てさげかばん》に錠《じょう》をおろした。宗助は二人を七条まで見送って、汽車が出るまで室《へや》の中へ這入《はい》って、わざと陽気な話をした。プラットフォームへ下りた時、窓の内から、
「遊びに来たまえ」と安井が云った。
「どうぞ是非」と御米が言った。
汽車は血色の好い宗助の前をそろそろ過ぎて、たちまち神戸の方に向って煙を吐《は》いた。
病人は転地先で年を越した。絵端書《えはがき》は着いた日から毎日のように寄こした。それにいつでも遊びに来いと繰り返して書いてない事はなかった。御米の文字も一二行ずつは必ず交《まじ》っていた。宗助は安井と御米から届いた絵端書を別にして机の上に重ねて置いた。外から帰るとそれが直《すぐ》
前へ
次へ
全332ページ中231ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング