の通り虫干の手伝をさせられるのも、こんな時には、かえって興味の多い仕事の一部分に数えられた。彼は冷たい風の吹き通す土蔵の戸前《とまえ》の湿《しめ》っぽい石の上に腰を掛けて、古くから家にあった江戸名所図会《えどめいしょずえ》と、江戸砂子《えどすなご》という本を物珍しそうに眺めた。畳まで熱くなった座敷の真中へ胡坐《あぐら》を掻《か》いて、下女の買って来た樟脳《しょうのう》を、小さな紙片《かみぎれ》に取り分けては、医者でくれる散薬のような形に畳んだ。宗助は小供の時から、この樟脳の高い香《かおり》と、汗の出る土用と、炮烙灸《ほうろくぎゅう》と、蒼空《あおぞら》を緩《ゆる》く舞う鳶《とび》とを連想していた。
 とかくするうちに節《せつ》は立秋に入った。二百十日の前には、風が吹いて、雨が降った。空には薄墨《うすずみ》の煮染《にじ》んだような雲がしきりに動いた。寒暖計が二三日下がり切りに下がった。宗助はまた行李《こうり》を麻縄で絡《から》げて、京都へ向う支度をしなければならなくなった。
 彼はこの間にも安井と約束のある事は忘れなかった。家《うち》へ帰った当座は、まだ二カ月も先の事だからと緩くり構えて
前へ 次へ
全332ページ中215ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング